合唱曲「地球」の詩の解釈について

今日は、合唱曲「地球」の詩の解釈について話したいと思います。

「地球」の歌詞は、私が書く詩の中では比較的わかりやすく、メッセージ性の強いものですが、Aメロ・Bメロはやや解釈が難しいかもしれません。

これは私の考えですが、「詩の解釈」というのは、各人が行うものであって、決して作詞者が解説をするものではないと思います。
しかしながら、難解な部分について、サポートをすることは大切なのではないかと考え、こうして筆を執っています。

でも、今日はAメロ・Bメロについての助言はいたしません。もしあなたの解釈が間違っていたとしても、この歌を歌うにあたってそれほど大きな影響はないからです(それに、そんなに大きく間違うことはないと思います)。

ただ一ヶ所だけ、「絶対に解釈を間違ってほしくない」部分があります。
それは、最後のサビに出てくる「経済なんてなくていいさ」という部分です。

経済なんてなくていいさ」。みなさんは、どのように解釈されましたか?

YouTubeの「地球」(混声四部版)の説明文にもある通り、私は、1000年後くらいには、こんな素敵な人間社会(ひいては全生物を含めた「地球」)になっていたらいいな、を想像して、この歌詞を書きました。

だから、この部分は「今のことを書いているのではない」のです。
少なくとも、私たちが生きているであろう今後100年くらいは「経済のない社会」は実現しないと(私は)思います。

現代においては、経済ってとても重要な(というか影響力のある)ものだと思うんです。経済≒お金を上手に使って、みんなが幸せになったらいいな、と思います。現代への私の願いは、お金がみんなに十分に行き渡って、世界的に健康な経済状態になればいいな、と思っています。
もちろん、お金以外にも大切なことはたくさんありますよ。愛とか、ね。

つまり、私がこの記事で言いたかったのは、「経済なんてなくていいさ」=「(現代において)お金なんてなくていいさ」っていう解釈だけは絶対にしないでください!っていうことです。
それが言いたかった。
「将来的に、お金を主体とした経済社会ではない人間社会になるといいな」っていう意味を、「経済なんてなくていいさ」と表現したのです。

実はこの部分、「もっと良い表現はないか」といろいろ考えてはいるのですが、全体の構成や字数の問題などで、この歌詞に落ち着いています。(気になっているから、こうして補足記事を書いているのです・・・。)

ちなみに、「経済のない社会」というのは、実現可能だと私は思っています。「経済」(≒「お金」)ではなくて、それに代わる、違う「何か」が、人間社会を循環させる時代。そんな時代が、きっと来ると思うのです。
このあたりの話は、この歌を歌ってくれた皆様(中学生や高校生が多いでしょう)が大人になったときに、いろいろな本を読んで、少しずつ理解してくれたらいいんじゃないかな、と思っています。
すべて解説するのは粋ではありませんから。含みを持たせてペンを置くことにしましょう。「経済なんてなくていいさ みんな一緒に住むほしをつくろう」で一つのフレーズなのです。

Ryu 記